契約離婚から円満離婚へ

契約離婚を経て、円満離婚。。。母子家庭生活を綴っています。

面会交流の是非

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離婚をしてもうすぐ3年が経とうとしています。泥沼化する前にちゃんと話し合って、養育費と面会交流について取り決めをして、公正証書にして、円満離婚だったとこのブログにも書きました。でも、離婚後、面会交流の日程調整においては元夫と何度も何度も何度も揉めました。これで本当に円満と言えるのか考えてしまいます。同時に面会交流って本当に必要なのか、子ども達のためになっているのか、悩んでしまいます。 

面会交流を決めたのはなんとなくその方が子ども達にとって、いいのだろうと思ったからです。親が離婚したとしても面会交流をすることで、片親の子=父親がいない子にはならない方がいいと思いました。何よりも多くのお偉いさんが、子どもの大切な権利、子どもの健全な成長には両親からの愛情が必要などと謳っているので、きっとそれが正解だと思っていました。

でも、今となっては、本当に必要なのか、これが正解なのか。。。面会交流の日程を巡って元夫と何度も何度も揉めました。そんな諍いを子ども達は何度も何度も見てきました。面会交流の取り決めがなければこんな諍いを見ることはなかったはずです。これが本当に子ども達にとっていいことなのか考えてしまいます。

 

改めて考えると、関係が破綻したから離婚したわけです。そんな間柄で面会交流のために協力し合うって本当に可能なのでしょうか。面会交流を持つことで、両親の諍いに子どもを巻き込むことが長期化しているだけのようにも感じます。でも、養育費をもらっているからには止めるわけにはいかない、面会料のような身代金のようなそんな位置づけにも感じます。

 

もう一つ疑問なのは、父親との面会がないことで、子ども達は愛情不足を感じるものなのでしょうか、それによって不安定になるものなのでしょうか。

離婚して最初の頃は、お父さんに会いに行きたいという発言もありました。最初の数回は日程調整もスムーズだったので、面会交流の時間を使って、私も友人と飲みに行ったりして、円満離婚のメリットだと思ったこともありました。今はコロナ禍で飲みには行けないのでそれも不満の種かもしれませんね。。。

ちょっと脱線しましたが、、、約3年経過して、普段の生活で子ども達の方から父親の話が出ることはだいぶ減りました。父親に会えなくて寂しいという思いは単に時間が解決できるものだったのではないかと感じます。特に今、コロナの関係で3月は面会交流がなくなったのですが、子ども達が不安定になったとか、父親を恋しがっているとか、そのような様子は見られません。ただ淡々と日々の生活を送っています。そんな様子を見ると、たまに父親に会わせる方が恋しがって、喪失感を感じてしまうのではないか、全く会わない方が母子3人だけの生活に順応できるのではないかとも考えてしまいます。

 

以前ちょっと書きましたが、私自身が片親の子=父親のいない子です。当然、私の兄弟達もそうです。  

hikari3.hatenadiary.jp

私達は愛情不足のまま育ち、不安定な大人になったのでしょうか、曲がった性格をしているのでしょうか。確かに父親からの愛情は微塵も感じません、でも、それが愛情不足なのでしょうか。私達は、母や叔父叔母、その他周りの人間から十分な愛情を受けて育ったと思います。私自身が人から称賛されるような性格だとは思いません、でも非難されるような性格でもないと思っています。私達兄弟は、それぞれ普通に学校を出て、普通に社会に出て、他人に迷惑をかけることなく、普通に生きています。

一方で、両親揃った健全な家庭に育ちながら、猟奇殺人者になった人間もいます。両親が揃っているだけで健全ではないのはわかります。でも、揃った上で、健全な家庭に育ちながら、、、という人もいますよね。 

 

私はお偉いさん達に言いたいです。子ども達の様子、自分自身の経験、私の兄弟達の様子を見た上で言いたいです。バカの一つ覚えのように「面会交流は子どもの大切な権利、子どもの健全な成長には両親からの愛情が必要」というのを止めてください。片親でも健全に成長する子ども、両親を亡くしても健全に成長する子どもは五万といます。面会交流は子どもの権利というよりも、むしろ非監護親の願望でしかないのではないですか?